弁天町ステーションアート第二弾アーティストの一人である林勇気。主にデジタルメディアを介した記録や記憶、コミュニケーションをテーマに映像作品を数多く発表している。今回は、追手門学院大学社会学部の教員でもある林に、学生時代から作品作りのプロセスや考え方、社会学との接点など多岐にわたる話を伺った。
Q. 現在、芸術大学ではなく追手門学院大学の社会学部で教えていらっしゃいます。どんな授業をされているのですか。
学生さんたちは社会学を学ぶ中でテーマを選択して、論文だけでなく映像や写真をベースに作品という形に落とし込んでいきます。例えばインタビューを撮影してドキュメンタリー作ったり、写真を撮影して写真集を作る学生もいます。これらの作品の背景には社会調査の学びが活かされていたりします。また、大学がある茨木市役所と一緒にプロジェクトをしていて、学生から見た地域の文化資源を調査・発見して、それを作品にするなど地域振興につながる種作りにも取り組んでいます。
Q. 社会学の観点から作る作品。興味深いです。
最近の美術の流れを見ていると、社会学の考え方を引用しているように思える作品も少なくないので、美術や映像と社会学は親和性が高いのではないかと感じています。今は美術もデザインも、社会と接続していくことが大事になっていますよね。
Q. 林さんは芸術大学でも教えていらっしゃいましたが、違いを感じることはありますか。
そもそも社会学のレンジが広いこともあって様々なテーマ設定で制作に取り組んでいます。卒業制作では、博物館に展示する教材のプロジェクションマッピングの積極的利用を模索する作品や、観光地における鹿と人との関係を調査・観察する映像インスタレーション、映像の「ながら見」に注目して本と映像を組み合わせた作品を作ったり。やはり芸術大学とは少し違う切り口なんじゃないかなと思います。芸術大学でも長らく仕事をさせて頂いていましたが、芸術大学だと芸術の枠内で思考したり、内向きになってしまう傾向が多少なりともあると思います。それは芸術大学の特徴だし、そうでなければ深いところまで到達できない事も多くあるので、よい部分だということも経験上知っています。一方、社会学部ということもあってか、学生たちのコミュニケーション能力は平均的に高いように思います。市役所や企業にスムーズに交渉して協力を取り付けてきたりします。
Q. 映像作家の方が社会学部で教えられる機会は全国的に増えているのでしょうか。
映像だけでなく、コミュニケーションデザインの分野などでも芸術大学以外で教えている方は増えていると思います。また、社会学部に限らず、表現を取り入れる総合大学が多くなっているようです。
高校生3年のとき、ハリウッド映画であるようなVFX特殊効果のモデルを作りたいと思っていたのが始まりです。そのころ、ちょうど3DCGの波が来ていたので、これからはモデルではなくCGで映画の特殊効果が作られていくのだろうと思い、そういう勉強がしたいと思っていました。
当時は映画監督になりたいと思っていました。ミュージックビデオのディレクターにもなりたかったですね。
当初は20代のうちに海外の映画祭に作品を出せなかったら、きっぱりやめて他の仕事をしようと思っていました。運良く20代半ばで初めて海外の映画祭に出品することができ、そこから商業的な映像に移行していく予定だったのですが、その時既に教員の仕事をしていまして、流されるまま教員と作家を両立していって、現在に至るという感じです。
Q. 学生のころ、どんな映画が好きでしたか。
その頃はジョナス・メカス監督、レオス・カラックス監督やヴィム・ヴェンダース監督、テオ・アンゲロプロス監督、王家衛監督、アッバス・キアロスタミ監督、日本人だと岩井俊二監督、河瀬直美監督、是枝裕和監督。アレクサンドル・ソクーロフ監督、アンドレイ・タルコフスキー監督とかユーリ・ノルシュテイン監督などロシアの映画が特に好きでした。その当時はロシアに行きたいと夢見ていました。それからテレンス・マリック監督の映画は今でもよくみますね(※撮影監督のエマニュエル・ルべツキの美しいカメラワークをみていたいのだと思います)。なんだかちょっと恥ずかしいですね、大学生の時に好きだった映画を語るって。
Q. 映画からどんな流れで今のような映像作品の制作に移っていったのでしょうか。
最初は実写で映画を撮っていました。途中から、実写とアニメーションが混ざっていくようなものになっていって。作家活動を始めたときはモーショングラフィックスとアニメーションと、映画の間のようなことをやりたいなと思っていました。そういう作品を作っている人が誰もいないんじゃないかなと考えていましたね。 ギャラリーや美術館で展示をするようになってからは、アニメーション寄りになったのですが、実は現在はアニメーションをベースにした作品はあまり作っていません。最近はドキュメンタリーなど実写をベースにした作品が多いですね。
《unseen》(2025)
豊中市立分化芸術センターでの展示風景 (撮影:麥生田兵吾)
2012年に作ったアニメーション作品です。自分で撮影した写真ではなく、「幸せ」という言葉で画像検索をかけて、世界中の「幸せの写真」のイメージを集め、それを素材に作りました。単にハッピーという意味合いでは全くなく、どちらかというと、誰かの幸せであったり、幸せのイメージみたいなものを、俯瞰的な視点で捉えている作品です。
ストーリーはなく、部屋(グリッド)ごとに集めてきた写真を組み合わせて展開し、中を登場人物が単に移動していくというアニメーション。
「幸せ」という言葉が、良くも悪くも消費されていくこと、今で言うとインスタ映えのように、「イメージで幸せというものが語られる」みたいなところを、作品を通して客観的に見る、捉え直すことを考えて作りました。
Q. 林さんは普段から映像の投影方法や空間を意識して展示されている印象があります。駅のホームでの展示について思うことはありますか。
展覧会や個展であれば、普段から美術や映像に親しんでいる人が来る場になると思うのですが、駅は不特定多数の人が通る場所。今までそうした表現に触れてこなかった人につながっていく、見てもらえる、とてもいい機会だと思います。
私の作品、特に体験型の作品やアニメーションベースの作品は鑑賞した子どもたちが喜んでくれることが多いです。例えば、大阪国際空港にあるコミッションワークも作品のコンディションを確認しに行った時に、通りすがりの子どもたちの反応がとても良くて。読み込めば様々な要素が見えてくるように作っているのですが、パッと見たときに、普段アートや映像に接してない人にも、「え?」と関心を持ってもらえる作品になっているのではないかなと考えています。
Q. 『happy times』は具体的にどんな風に作られたのでしょうか。
ネット上の様々な写真の中から、タワー、石、ソファー、観葉植物、いくら、鮭など、パーツを切り抜いて組み合わせているんです。背景も、「花畑と空」「アスファルトと空」というように、いくつかの写真を合わせたり、1枚絵になっているところもあります。色は少し調整していますが、元の写真から大きくは変えていません。
Q. 一見イラストのようにも見えるのですが、すべて写真なのですね。アニメーションの動き方も気になります。
各パーツと人物は、ルールやパターンを決めて動かしています。ソフト上、どんな動きでもできるんですよ。早く歩かせることもできますが、そういうのはあえてしないようにしました。
Q. 人物が薄っぺらくに見えるのも面白いですね。
俯瞰で撮影したものを素材としているからそう見えるのではないでしょうか。
実はこれ、私なんです!
Q. え!この人物たち、ぜんぶ林さんなんですか!
最初期は、ほとんど自分で出演していました。この頃はゲームっぽい画面構成を意識していましたね。
Q. 景色のように、ずっと眺めていられますね。
俯瞰した視点に合わせて揺らぎがあるからかもしれません。プログラムでリアルタイムに映像を生成しているわけではないですが、ルールで決めた幅の枠内でランダムに動かしているので見飽きることがないのかもしれませんね。
Q. なぜ、インターネットで検索して写真を集めることにしたのですか。
今は自分でカメラを回して撮影することも多いのですが、この作品を作った頃は特に、自分で撮影することを極力したくないと思っていました。イメージに自分の主観が入ることを避けたいと考えていました。主観的な個々の写真のイメージというより、概念としての「写真」そのものを素材としようとしていたからです。あわせて、他者の記憶や、アノニマス=匿名の記憶、集団的記憶みたいなところも作品の主眼になっていた事も理由になっています。逆に、現在は自分の記憶や視線をあえて入れている作品もあるのですが、この頃は、ほとんどネットの画像を使っていましたね。
Q. インターネットが普及したからこそできた作品。やはり社会との関わりが見えてきます。
これまで一貫して、記憶や記録、画面やイメージを通して起こるコミュニケーションをテーマにしてきました。それって社会に多分に含まれる要素じゃないですか。記録したものを発信するとなると、通信やネット上のコミュニケーションの問題になったりしますしね。
《happy times》2012 INTA-NET KYOTOでの展示風景(2024年、撮影:岡はるか)
《Their shadows》(2022) クリエイティブセンター大阪での展示風景(撮影:麥生田兵吾)
作業としては撮影と編集が多くの割合を占めています。撮影以外はずっとノートパソコンに向かっています。考えている時間も長いですね。いつもモヤモヤ考えて、常にメモを取っています。
以前はノートにドローイングなどを描いていたのですが、今は一切やっていないです。設計図みたいなものは描くのですが、紙ではなくMacのメモやiPadを使っています。iPadでドローイングをして考えるときもありますが、8割ぐらいは文章で考えています。調べたことや自分で考えたことを書いていきます。
作業工程の全てがデジタルで、あまりにもモノとして残らないのは作品にとっていいのかなと疑問に思うこともあるのですが、iPadで描いたものをパソコンで共有して見られるので便利なんですよね。今はグーグルカレンダーとiOSのメモ、その2つがないと仕事ができないです。
Q. アイデアはどんな時に湧いてきますか。
なぜだか分からないのですが、悩んでいることがクリアになったり、考えていたいくつかのことが結びついて1つの作品になったりするのって、大体お風呂なんですよ。お風呂で「あ!」と思いつくことが多い。脳の回路が切り変わるのかもしれません。
Q. アイデアを思いついたとき、頭の中に映像はあるんですか?
映像が見える場合もありますし、最近は言葉と言葉がつながって新しい意味が生じてきたり、悩んでいる部分の展開が見えたり、考えていることをうまくストーリーに当てはめるための何かがみつかるというような、そういう「あ!」が多いですね。
Q. 映像より先に言葉があるということでしょうか。
どちらが先か!はほかの作家さんたちにも聞いてみたいですね。映像や映画は基本的にはやはりシナリオを出発点とするならば最初に言葉があるようにも思えますが、イメージを文章に置き換えているのでコロンブスの卵的で難しいですね。企画書も文章が重要な位置をしめますし。私も以前は絵コンテを作っていたのですが、今はもう作り方が全然変わってしまいました。映像作家でこんな作り方している人はあまりいないかもしれないです。
Q. 頭の中のアイデアを言葉にし、そこから自分だけの表現を形にしていくのは難しい作業ですね。
今は、すべてがプロセスだと考えています。1つ作って、そこから次にすることが見えてくるということを、複数のラインでずっと繰り返しているという感じです。
基本的に、上手くいかなくても失敗じゃないと自分では思っています。作家活動を始めた直後は、一作一作に対する相当な意気込みがありましたが、いまはプロセスを重視しています。だから、1つ作ったらそれを踏まえて次の作品を作るという実験をずっとしています。それが1つのラインとなって、いくつかそういうラインがあって、そのラインを組み合わせながらやったりとか。1つやったら次の展開が見えてくるんです。
《灯をみる》(2024)
gallery PARCでの展示風景(撮影:麥生田兵吾)
《灯をみる》(2024)
gallery PARCでの展示風景(撮影:麥生田兵吾)