岡本 啓 インタビュー
弁天町ステーションアート第一弾アーティストの一人である岡本 啓。
「フォトブラッシュ(=photo brush)」と名付けられたオリジナル技法で色と光を直接扱い作品制作をしている。どのようにしてその技法が生み出されたのか。また、アーティストになるに至った経緯を伺ってみた。
Q. いつも何と名乗っていますか?
消去法で「アーティスト」かな。
よく「画家じゃないの?」って聞かれるんですけど、「画家」って言いたいけど、そうじゃないし。
「フォトアーティスト」と言われることもあるんですけど否定はしないって感じです。
でもまあ「アーティスト」ですね。
あとは美術作家も言いますね。
アーティストって言っても「何をする人」なのか分かりにくいと思うんですけど、自分自身でも「何をする人」かはっきり分からないところがあるんです。
立体を作ることもあるし、逆にそういうものを全く作らない時期もある。映像だって、去年からようやく作り始めたところで。
でも、そうやってその時々で表現の手段を変えたり、形が定まっていなかったりするのが、むしろ「アーティスト」ってことなんじゃないかと思ったりします。
Q. 自分の表現の幅に制限をかけたくないということ?
そうですね、今は「写真」を表現の素材とすることが主なんですけど、だからといって「フォトアーティストです」と名乗ってるわけではなくて。
そう呼ばれても否定はしないけど、「ああ、そういうふうに見えてるんだな」というくらいで。
たまたま長く続けてるっていうだけの話なんです。
だから「写真の人」っていうよりは、そのときどきで必要な表現を選んでる、っていう感覚の方が近いかもしれません。
Q. 岡本さんのオリジナル技法である「フォトブラッシュ(=photo brush)」について教えてください。
「フォトブラッシュ」は写真の作業工程を、“絵を描く”行為として見立てているようなところがあるんです。
“写真”と“絵を描く”という行為の定義そのものを、もう少し広くとらえたいと思っていて。
「これも絵を描くって言えるよね」「こういうのも“描く”と捉えていいんじゃない?」っていう感覚が自分の中にあるんです。
具体的には、光の三原色を使って、印画紙を発色させていくんです。
絵画だったら、絵の具を筆でキャンバスに塗っていくじゃないですか。でもフォトフラッシュでは、絵の具の代わりに“光の色”を使う。キャンバスにあたる写真印画紙に、色を“当てていく”という感じです。
印画紙には色の層があって、それを光の色や照射時間などで調整して発色させていく。
例えば、緑の光を当てると赤い色が出るし、黄色の光だと紫色になるというふうに、補色の関係で色が発現するんですね。写真現像液を、印画紙面の発色させたいところに、描くようにのせると、その部分が発色する。
そういう写真材料の性質を使いながら、無限に近いグラデーションを使って、色を“作っていく”。
僕にとっての“描く”という感覚を写真というメディアでやっている、ということです。
Q. フォトフラッシュという技法は、実際の作業としてはどのように行っているんですか?
作業は基本的に“全暗室”なんです。つまり、完全に真っ暗な状態。
絵の具で絵を描く場合って、筆のタッチとかプロセスを目で見ながら調整できますよね。でもこの作業は、ある意味“1発撮り”みたいなもので、光を当てた瞬間に結果が決まってしまう。
もちろん、実際の発色作業は一発勝負なんですけど、そこに至るまでにはけっこう下準備をしています。
下書きは基本的に鉛筆や水彩でやることが多くて、小さな紙にグリッドを引いて、「この辺りにこういう色を置こうかな」っていうのを描いていくんです。
毎回必ずやるわけじゃないけど、特に構図が複雑な作品のときなんかには、かなり綿密にやりますね。
今回の映像作品でもあったんですけど、かなり複雑な構図のものになると、何枚もの絵を重ねているような状態になるんです。
そういうときは、下書きをベースにして、どの順番で色を重ねるかとか、どのタイミングで光を当てるかっていうのを“シミュレーション”しながら組み立てていく感じです。
最終的には、自分の中で“どう見せるか”が明確になるように、ランダムに重ねてみたり、順番を変えてみたりすることで確認していくんです。
複雑な作品ほど、そこは丁寧にやっています。
Q. 今回の映像作品も、そういったプロセスを経て作られているんですか?
今回の映像作品では、だいたい100枚くらいのレイヤーを重ねたり、繰り返したりしています。
ひとつのフレームに対して、色やかたちの要素を少しずつずらしながら重ねていって、それが時間軸の中で変化していくように構成しています。
たぶん、見た人の多くは「デジタルで作られてるんだろうな」と考えると思うんです。見た目の印象としてもそうかもしれないし、今の時代的にも。
でも実際には、あれ全部フィルムなんです。
最終的に、フィルムの状態で出力していて、それをスキャンして映像化してるんです。
つまり、あの映像の“原画”っていうのは、フィルムに焼きつけられたもので、それがちゃんと物理的に存在しているんですよね。
そのフィルムにしか出せない質感や、ちょっとした揺らぎがあるからこそ、映像になったときに独特の雰囲気が出てくるんです。
LEDのように支持体が発光していることが、岡本さんの作品と合っているように感じました。
実はもう10年以上前の話なんですけど、「発色や発光するような作品って作れないのかな?」って、ぼんやり考えていた時期があったんです。
当時はまだ映像技術も今ほど進化していなかったし、自分自身も映像に関わっていたわけではなくて。だからそのアイデアも、あくまで“イメージ”のままで、具体的に形にするのは難しかったんですよね。
でも今になって、技術的にも自分のやりたいことと重なるようになってきていて。
「あの時考えていたことって、もしかしたら今だったらできるんじゃないか」って、ふと思った瞬間があって。
それに気づいたときは、ちょっと感動しましたね。自分の中にずっと残っていたイメージが、ようやく“現在”とつながった感じがして。
Q. いつから絵を描くようになったんですか?
それがもう、ほんとに気がついたら…っていうレベルなんです。
姉が絵を描くのが好きで、それを真似してたのがたぶん最初だったと思うんですけど、それってもう、3歳とか4歳くらいの記憶で。
自分でもなんとなく覚えてるんですよね。
小さい頃、外にあまり出たがらなかったみたいで、親にはけっこう心配されてました。(笑)
でもその分、家の中で絵を描いてることが多くて。よく、スーパーの広告の裏に絵を描いてましたね。
昔のチラシって、片面印刷のやつあったじゃないですか?黄色っぽい紙に「トマト98円」みたいな写真と値段がバーンと載ってるやつ。
ああいうのの裏に、ひたすら絵を描いてました。写真とかフォントの輪郭をなぞったり、自分で絵を足したりして。たぶん幼稚園入る前くらいのことなんですけど、その感覚は今でもよく覚えてます。
そのまま大きくなっていったんですけど、転機があったのが小学3年生くらいのときで。
それまで運動は全然できないと思ってたし、外で遊ぶのも苦手だったんです。
でも、あるとき水泳を始めてから、急に体を動かせるようになって。足も速くなって、マラソン大会でそれまでビリの方だったのに、いきなり8位とかになって。(笑)
それがすごくびっくりしたし、自分でも「あれ?運動できるかも」って気づいた瞬間で。そこから、友達と外で遊ぶようにもなっていきましたね。
家に帰ったら描いてるのは同じでしたけど。
Q. アーティストになろうとか、芸大に行こうと思うようになったのはいつ頃からですか?
いや、それがまったくそんなことは考えてなかったんです(笑)。
確かに、小さい頃から「絵うまいね」って言われることは多かったし、他にこれといってやりたいこともなかったから、自然と絵に向かっていたって感じではありますけど。
でも、絵を描くことが特別なことだとは思ってなかったし、アーティストっていうものも、正直ちゃんと理解してなかったですね。
高校のとき、進路の話になるじゃないですか。そのときに「じゃあ、絵の技術を活かせる大学に行くのがいいかな」ってくらいの気持ちで。
だから予備校にも通ってたんですけど、通い始めたのも高校3年生になってからで、周りと比べるとけっこう遅いスタートだったと思います。
親戚とか、知り合いから「なんか予備校っていうのがあるらしいで」みたいな感じで聞いて、
「へえ、そうなんや。じゃあ行ってみようかな」って。ほんとそんなノリでした。
そして大阪芸大に入学したんですよね。
とりあえず「絵が描けるから」って理由で、美術学科に入りました。
一応“絵画”で入ったんですけど、僕が入った頃の大阪芸大って、「平面コース」と「立体コース」しかない時期だったんですよ。
大阪芸大の美術学科史上一番ぼんやりした時代だったんじゃないかと。(笑)
だから、たとえば「油絵をやる」って決めて入ってきた人も、いきなり専攻に進むんじゃなくて、「とりあえずみんな同じことをやる」っていう状況で。
そうなんですよ。名前が「平面コース」っていうだけあって、「とりあえず平たいものであればいい」みたいな。(笑)
今思えば、すごい名前ですよね。でもそのコース、数年後にはなくなってたんで、「まあ、深く考えなくてもよかったな…」とは思いましたけど。
そんなふうに始まったので、最初の頃は油絵とかアクリルとか、いわゆる“絵画っぽいこと”を一通り試してた感じでした。
でも逆に、そうやって最初から何かに絞られていなかったぶん、自分にとっての「表現すること」ってなんだろう?っていう問いが、早い段階で浮かんできた気もします。
Q. 曖昧さがあったからフォトブラッシュにいきついたのではないですか?
もし最初から「日本画」「油絵」「版画」みたいにがっちり専攻があったら生まれてなかった気がします。
そうかもしれませんね。今思えば、あの「平面コース」のぼんやりした感じって、むしろよかったのかもしれないなと思ってて。
実は、高校に入るときも「別に絵を描きたいわけじゃないな…」みたいな気持ちもあったんです。
アーティストになるとか全然考えてなかったし、志望はデザイナーでも何でもよかったかもしれない、って思ってて。
だからこそ「油絵コースのある大学に行こう」とはならなくて、「平面でぼんやりしてるくらいの方が自分に合ってるかな」って感じで選んだんです。
ある意味、決めるのをずっと先延ばしにしてたんですよね。
でもその“決めなさ”があったからこそ、自分にとっての表現が、もっと自然に、無理なく広がっていったのかもしれないです。
そして、3回生になるタイミングで「構想」っていうゼミに入ったんです。
大阪芸大では、最初の2年間は専攻が決まってなくて、3年からそれぞれの専攻に分かれるんですけど、僕はそのときまで、ずーっと決められないままでいて。
でも、逆に言うと「決めかねている」自分に一番しっくりくる場所が、構想ゼミだったんですよね。
構想って、いわゆる「絵画」とか「彫刻」とか、そういうジャンルに縛られないところで。そこに入ったのは、2年間いろいろやってきたけど、結局自分は“何か一つに絞れない人”なんだなって思ったからかもしれません。
大学に入ったばかりの頃は、「油絵で一枚の絵をじっくり時間かけて描く」っていうことにすごく憧れもあって。
(今回弁天町ステーションアートにも参加している)田中くんのように“ペインター”みたいな人に憧れはあったんですけど、どうしても自分は同じようにはできなかった。
なんか、そういう気持ちになれないんですよね。情熱がない…って言うとちょっと極端かもしれないけど、少なくとも僕にその種の情熱はなかった。
正直なところ、「どうしようかな」って気持ちのまま、とりあえず“逃げるように”構想に入ったっていう感覚もありました。
構想って、絵を描かなくてもよかったんですよね。表現そのものを考える、っていう立場。良い言い方をすれば、そういう場所でした。
その頃は、周りの影響もあって、「絵を描く」気持ちとか憧れはちゃんとあったんです。
どこかで、絵画的な表現で作品を作らないといけない、と思い込んでいたというか。でも…油絵を描くのがどうしても難しかったし、しんどかった。
それでも「何かやらなあかん」と思って、最初のうちはとにかくキャンバスを塗ってたんですよね。
布を張った木枠に、白い下地をつくる“地塗り”っていう工程があるんですけど、そればっかりやってた。
その時は、「これはこれで、1枚の絵になってるんじゃないか」っていう理屈を自分なりにつけてみて。
地塗りがある段階まで進んだら、完成って。
たまに少しだけ墨を混ぜてグラデーションを作ったりとかして、何かミニマルな感じでしたけど。
そうやって「どうにかして自分なりの形で作品を成立させよう」と模索してた時期だったんですよね。
当時の僕は、「絵画とは何か」を「考えているふりをしていた」――そんな感じだったと思います。
最初はあくまで“絵を描く”という意識でいたんですけど、作っていくうちにどんどん作品が“箱状”になってきたんですよ。
キャンバスって、ふつうは正面の平面に描くものじゃないですか。
でも、「あ、側面にも塗れるな」とか、「もうちょっと厚みを持たせたら、もっと塗れるな」とか、思ってたら箱状になってきて。
で、自然と「箱の内側」に意識がいく。「これ、何かできへんかな」と思って調べてたら、カメラ・オブスキュラにいきついた感じで。
カメラ・オブスキュラ、いわゆるピンホールカメラって、レンズを使わずに小さな穴を通して像を結ぶ、すごく原始的なカメラなんですけど、絵画史では、ルネサンスの時代から“外の風景を中に取り込んで、それをなぞる”っていう装置として使われていたんですよね。
ダ・ヴィンチも、そういう方法を使っていたという話もあって。
それを知ったとき、「あ、これやってみよう」って思って。
まずは、ピンホールカメラを自作して、写真材料を集めて。現像も自分でやってました。
制作室の一角を暗室みたいにして、そこで作業してたんですけど、普通は最初は白黒から始めるじゃないですか?
でも僕、そういう知識が全然ないし人にも聞かなかったから、いきなりカラーの材料を買ってきたんですよ。
そして現像したら、全然うまくいかなかったんです。(笑)
でも、その中でたまたまできた失敗のピースが絵みたいで、「綺麗…」ってなって。
ピンホールカメラで写真を撮ることも続けてたんですけど、それ以上に、“発色する”ということ――そこにすごく惹かれたんですよね。
実は、それまで写真ってあまり得意じゃなくて。
しかも絵に対して憧れもあったから、「写真ってすぐ一枚の画面になって、ずるいな」って思ってたくらいで。
でも自分で現像してみたら、写真って“ただの像”じゃなくて、浮かび上がってくるその様がすごく物質的だったんです。
触感をともなって見えたというか、「絵画と一緒や」ってなったんです。
しかもアプローチとしても、現像って時間が限られてるから、終わりを決めてくれる。
現像は、やりすぎたら真っ黒になっちゃう。
だから、その“限られた時間の中で完結する”っていう制限が、僕にはすごく適っていたんです。
絵の“終わらせ方”っていつも難しくて、命題だと思うんですけど、現像はある意味で、時間が勝手に終わらせてくれる。
それでも技術的によく分からなかったから、「これってちゃんと保存できるのか?」っていう不安があって。
たまたま綺麗に発色したけど、「このまますぐに色が抜けてしまったらどうしよう」とか、「こんな使い方していいのか?」とか。
そのときに、富士フイルムのお客様相談センターに電話したんですよ。ここで初めて人に聞きました。
最初はもちろん、オペレーターの人が出てくれるんですけど、僕が「こういう材料でこういうことをしてるんですけど、これってそもそも大丈夫なんですか?」って聞いたら、
「…いやあ、ちょっと分からないですね…」って。(笑)
でも、そこで引き下がらずに、しつこく食い下がってたら、途中で営業の方とか技術の方に話を回してくれて。
最終的に、「もし東京に来ることがあれば、一度お越しください」って言ってもらえたんです。
たしか3回生の終わりぐらいの時期で、東京の虎ノ門にあった当時の本社に行きました。
で、持って行った作品を見てもらって、「発色としては写真と同じです。ちゃんと定着させれば問題ありません」って、専門の方から直接お話をいただけたんです。
しかも、材料も少し分けてもらえて。
その材料で作品制作に取り掛かりました。
それまでずっと決められずにいたからこそ、素材との出会いが少しずつ、自分の方に“寄ってきてくれた”ような感じがあるんです。
それって、すごい発見だったんですよね。
もちろん、写真材料そのものの魅力もすごく大きかったんですけど、何か写真の工程そのものが面白く見えた。
写真というのは「こうして、こうして、こうして…」っていう一連の流れがあって、
最終的に1枚のプリントが出来上がる――そういう“決まったゴール”があるものだと思っていたし、実際そうです。
でもあるとき、「この中の一部分、例えば“現像”という工程だけを抜き出したら、まったく違う技術になるんじゃないか?」ってことに気づいたんです。
そうなんです。フォトブラッシュでも、もちろん“写真の材料”を使ってはいるんですけど、
僕がやってるのは「写真を撮る」っていう行為とはちょっと違うんですよね。
例えば、僕の作品の中には写真を実際に“撮っている”作品も少しだけあるんですけど、それもやっぱり、「撮るという工程、被写体の選択という工程を抜き出して使う」っていう感覚で作られていて。
現像だったり、光を当てることだったり、ある一部分の動きや作用だけを抜き出して使う。
そうすることで、出来上がるものは“写真”ではあるけれど、もう完全に別のものになっている。
それがすごく面白いと思ったんです。
Q. そこからは割と表現の軸が固まってきた感じですか?
いまだに「決めかねていて構想中」です。(笑)
自分が写真のアーティストとはやっぱり思えなくて、どちらかというとペインターなのかな、とか。
でも、本当は違う風になりたいとも思っているかも。何かというのはわからへんけど。
どこかでずっと、“写真じゃない”っていう切り口でできることを探してる感じはあります。
構想中、というか…たぶん、ずっと構想中なんだと思います。
これが死ぬまでにちゃんと“形”になるのかどうかは分からないけど、
でも、「構想中であること」自体が、たぶん自分にとってすごく自然なんですよね。
だから“フォトアーティスト”って言われると、ちょっと違うなって思ってしまう。
自分で自分を縛ってしまうような気がして。実際、何かを“決めた”ことってこれまで一度もないんです。
決められなかったぶん、少しずつ、材料の方がこちらに寄ってきてくれたり、
曖昧なまま進んできたことで、気づけたことや見つけられたものもたくさんあったと思います。
これからも、「決めないでいること」が、もしかしたら一番自分らしい表現の仕方なのかもしれません。
僕の技法って実はフォトブラッシュじゃなくて、根本的なところで言うと──
「決まっている構造を、いったん分解して考える」っていうこと。
今はそれを“写真”に対してやっているから、結果的にフォトブラッシュという形になっているだけで、もし他にそれを当てはめる対象や切り口を発見したら、それにシフトしていくかも。
フォトブラッシュにたどり着く前にやっていた“地塗りだけのキャンバス”も、まさにそうですよね。
本来は背景として塗るだけのプロセスを、あえて取り出して見せる。
完成された絵の“構造の一部”だけを抜き出して、そこに価値を見出す。
そういうふうに、何かを分解して、その断片から考えること――
それが、僕にとっての本当の“コンセプト”なんだと思います。
Q. 構図とかはどうしてるんですか?
初めに下書きをしてますね。
何となく風景みたいなイメージは、ベースにあるのかもしれないですね。
コンポジションとして考えることが多いんですけど、その中に自然と“風景っぽい形”が多いかもしれません。
でもそれも、意識的に描こうとしているというよりは、結果的にそうなるという感じです。
制作において、道具や技法に対してのこだわりはありますか?
新しい工夫は、思いついたらまずやってみるようにしています。
フォトブラッシュにおいてはやっぱり「光を当てる」っていうのが一番重要なんです。
その“当て方”、いわゆるライティング──
電球の種類だったり、その上に紙をかぶせて拡散させたり、そういうちょっとした工夫で、
本当にペンみたいに“書ける”ようになることもあるんですよ。
もちろん、使った道具はちゃんと洗うとか、基本的なこともありますけど、
どちらかというと、僕の制作って“演出”に近いし、“偶然性”がすごく高い作業なんですよね。
「こうしたら、こうなった」という現象が、思いがけず起こったりする。そのときにメモはとってて。
その偶然を受け入れつつ、どう形にしていくかというところに、楽しさもありますし、工夫の余地もあるんです。
もともと、フォトフラッシュは写真素材における“一点もの”として始めたんですよね。
でも、それを突き詰めていけばいくほど、どんどん細分化していって。
たとえば今回の映像作品もそうで、“プリントできないようにした上で、プリントを作る”、みたいな。
ぐるぐると回りながら、偏執的に考えてるようなところもあります。
今後の展望は?
もちろん展望も決めかなていて。(笑)
フォトブラッシュも発見があるうちは継続していくけど、絵を描くことに対しての憧れもあるし。
絵を描きたいって思えたらいいなと。
絵を描く工程のなかでの切り口を理解すれば、作品ができるかもしれないし。
自分の本当のコンセプトが、もうちょっと明確に見えるような、広い意味での作品を作れたらいいなと思います。
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岡本 啓 Akira Okamoto
1981年 大阪府生まれ
2004年 大阪芸術大学美術学科卒業
[ 個展 ]
2004年 ギャラリー椿/GT2(東京)
2005年 「Chromatism」ギャラリー椿/GT2(東京)
2006年 「photograph」Yoshiaki Inoue Gallery(大阪)
2007年 「写真の裾野」ギャラリー椿(東京)
2008年 「薄片」 Yoshiaki Inoue Gallery(大阪)
2009年 「Cosmography Photography」ギャラリー椿(東京)
2010年 「photographic memory」(大阪/ ART OSAKA 2010 Yoshiaki Inoue Galleryブース)
2011年 「Photographic Memory」ギャラリー椿(東京)
2012年 「display (机上の空論)」Yoshiaki Inoue Gallery(大阪)
2012年 「photographic memory(写真のようにはっきりとした記憶)」ギャラリー椿(東京)
2012年 「Visible≡Invisible」the three konohana(大阪)
2014年 「Styling Art Exhibition・ネオンカラーミックス」阪急百貨店メンズ大阪(大阪)
2014年 「Chromatism」 大阪タカシマヤ美術画廊・ギャラリーNEXT(大阪)
2015年 「sciorism」ギャラリー椿(東京)
2015年 「universe」リスン京都(京都)
2016年 「universe」リスン青山(東京)
2016年 「fiction」Yoshiaki Inoue Gallery(大阪)
2017年 「minima」ギャラリー椿(東京)
2019年 「raum」Yoshiaki Inoue Gallery (大阪)
2019年 「raum」ギャラリー椿(東京)
2021年 「Still Life」ギャラリー椿(東京)
2023年 「Airglow」ギャラリー椿(東京)
[ グループ展]
2010年 「美の予感2010」(日本橋/大阪/京都/名古屋/横浜/新宿・高島屋)
2012年 「『記憶』を揺り動かす『いろ』」(大和郡山 / HANARART2012)
2013年 「ボーダーレスのゆくえ」(大阪、なんばパークス)
2014年 「RECRUIT・田岡和也 × 杉山卓朗× 岡本啓」CAP STUDIO Y3(神戸)
2014年 「Do You See Me? 日本當代藝術聯展」Aki Gallery(台北)
2015年 「Communication」グランフロント大阪・ナレッジサロン(大阪)
2016年 「Gallery TSUBAKI REUNION」ギャラリー椿(東京)
2019年 real SOU #3 「イメージの扉」 (大阪/ 茨木市本町センター)
2024年 「波のつげさき」KARINOMA・旧武石商店(大阪)
[ アートプロジェクト ]
2020年 「有馬アートナイト~質量からの旅の追憶~岡本啓×中島麦」(神戸/ 有馬温泉市街地)