弁天町ステーションアート第三弾アーティストの一人である杉山卓朗。キャンバスを前にして起こるイマジネーションや衝動をなくし、線や面を反復、再構築しながら絵画を制作している。今回、初めて映像制作に挑戦した経緯や作品のコンセプト、また自ら推薦した、世代の違う作家の泉茂について話を聞いた。
Yoshimi Artsで撮影された杉山卓朗(撮影:井川茉代)
これまでも映像を作る構想はありましたが、弁天町ステーションアートのお話をいただいたことをきっかけに、実際に取り組んでみることにしました。声をかけていただかなかったら、映像制作の実現はもっと先になっていただろうと思います。
昔はイメージをどう平面=絵にするかばかり考えていました。ですが、いろいろな作品を見るうちに、考え方があって、作り方があって、実際のイメージがあるのだと考えるようになり、最後のイメージの出力が映像であっても立体であってもいいと思うようになりました。
Q. 作業はスムーズに進みましたか。
映像制作について何も分からない状態でスタートしましたが、やり始めると想像以上にすんなりできてしまいました。去年の年末にお話をいただいて、年明けには思ったものを作ることができたので嬉しかったです。
使ったのは「DaVinci Resolve」というフリーソフトです。iPadの無料版は使える機能が限定されていて、アナログフィルムを切り貼りするように全て人力でカットし、間にエフェクトを挟んで作っていきました。手間はかかりましたが、積み重ねて作っていくところが絵を描く作業と似ているように感じました。制限があるほうがかえってやりやすかったのかもしれません。
Q. 今回の映像のコンセプトを教えてください。
意志はあるのか?いや、ないんじゃないか?というポジティブかネガティブかわからないような意味の作品です。
約15個の四角形が動いているという単純な構成ですが、同じ色が重なった時に複雑な形が生まれます。ランダムな形の四角形を作って、配置や動く速度、回転の度合いなども全て無作為に決定していきました。僕がその都度ああしてこうしてと決めるのではなく、初めに決めた作り方だけで最後まで持っていくという方法を採用しています。
これまでにも同じ考え方と方法を用いて平面作品に落とし込んだ『意志』という絵画シリーズがあるのですが、今回はその過程を映像にしたという感じです。
この方法を取り入れると、自分が手を加えずに生成されるイメージに対して「これは果たして僕の意志なのか?」という疑問が生まれます。どんな意志が反映されているのか?それを「作品」と呼べるのか?ということを考える作品なのです。
自分としては意志を反映させようとしていないけれど、反映しているとしたら、もはやそれを意志と呼べるんじゃないかという、逆説的な意味があります。
Q. 意志をなくすことで、逆に意志が浮かび上がってくるのですね。そもそもなぜ意志に着目するようになったのでしょうか
絵画の場合、下書きからトレースしてキャンバスに移し、イメージを作っていきます。その際、失敗の線を消して、成功と思える線だけ残していくのですが、何をもって成功と判断するか実は曖昧なんです。時間をかけて作業をしているから価値があるように見えているだけかもしれない。そこに明確な意志があるのか疑問に感じたことが発端です。
ポチポチとクリックすれば瞬間的に点が動き、その点を結んで様々なパターンの四角形が出来上がるので、絵を描くよりも時間が短縮されます。そのため成功か失敗か、良いか悪いかの判断がより曖昧になってしまうと感じました。
Q. 動いているのか、動いていないのかわからないほど、ゆっくりしたスピードの映像です。駅のホームでどう見えるか楽しみですね。
ホームは「よそ見」がたくさん起きるのがいいですね。まばたきをしたり、ボーッとしたり、スマホを見たりして、また画面に目を戻したときには違う構図になっているというのがやってみたかったんです。
わかりやすいオブジェクトが登場すれば、動いている最中に目を逸らしても、頭の中で見ていない間の動画が作れると思うのですが、この映像はそうではありません。まるでスクリーンセーバーのようにゆっくりと絶えず変化し、どの瞬間を切り取っても「絵画」として成立する作品でもあります。
Q. 赤と青と白とグレーというシンプルな色にはどんな意味があるのでしょうか。
僕は、ほとんどの作品に赤・青・白・黒しか使っていません。理由は自分でもうまく説明できないのですが、色として独立しているような気がしています。色ではあるけれど、パーツと同じように考えています。 文化によっても違うこともありますが、例えばピンク色は可愛い、緑色は回復するといったイメージがあり、意味が限定されます。赤にも、いろいろな意味があると思うのですが、赤・青・白・黒の組み合わせであれば、それぞれの色は強いけど意味を打ち消し合っているような気がします。あとは、ガンダムのモビルスーツの色も参考にしています。
Q. 言われて見れば、ガンダムにも見えてきました(笑)
ガンダムは、色合わせが正義っぽいんです。この組み合わせには象徴的な力強さがあると思います。
Q. 同時期に映像が流れる泉茂さんを推薦されたのは、杉山さんです。もともと泉さんの作品がお好きだったんですか。
ファンになったのは最近です。the three konohanaで開催された展覧会を見てからですね。その時、和歌山県立近代美術館の学芸員さんによる泉茂さんに関するトークを聞いたのですが、作品から受ける印象とお話の内容が合致すると感じました。
Q. 大阪芸術大学で長く教鞭を執っていらっしゃったので、関西には直接指導を受けた方が大勢おられますね。
生前の泉さんをよく知る方とお会いする機会がありますが、皆さんそれぞれに影響を受けられていて、泉さんのカリスマ性みたいなものを感じます。作品から見て取れる以上に破天荒な方だったというエピソードも耳にします。最初に作品から受けた印象を忘れないように、最近は人物像よりも作品にフォーカスを当てるように努めています。
Q.泉さんの作品のどんなところに惹かれますか。
泉さんは自分が描いたドローイングの筆跡を分解して拡大し、再構築する作品を作っています。僕もそういうところにすごく関心があります。
筆跡が残る絵を描く人の筆跡への関心の無さがとても気になってしまうんです。なぜ、みんな筆跡をそのまま受け止めているんだろうと疑問が湧きます。もちろんすごく意識して描いている方もいますが、描いたらそうなるからこの筆跡を使っているというのは、僕には受け入れられないです。そうではないやり方で絵を作れたらいいなということを、常に考えています。
Q.感情や偶然に任せない作品作りに共感されたのですね。泉さんから影響を受けたことがあれば教えてください。
作風=スタイルを変えることをいとわず、理解されたら変えるというところですね。
僕は以前、構造的な立体物のような絵を10年以上描き続けていました。僕自身がそのスタイルで押し通そうとしていたんです。自分の中で行き詰まっている気持ちがあったけれど、そういう画風だと周りに認知されていたので、期待されていることに応えたいという思いからスタイル変更ができませんでした。泉さんはそれを軽やかにされていたと知ってから、僕の中でスタイルを変えることへのハードルが下がりました。
現在は、いろんな作家のアーカイブを一度に簡単に見ることができます。そのため、一つのスタイルを通した人がいい作家だというふうに目につきやすくなると思うんです。作家側も若いうちから「私はこれをやる」と決めつけてしまう恐れがあります。
泉さんはそれに抗った人。もっとも泉さんは意図して抗ったわけではなく、本心でされていたと思いますが、それが今になってカウンターのように響いてきてかっこいいです。信念というか計画というか、描くための自分なりの作り方を見つけ出せば、スタイルが変わってもいい。むしろ変えていくことで何かが生まれるというところに僕はすごく影響を受けました。
Q.泉茂さんを弁天町ステーションアートに推薦された理由を聞かせてください。
好きな作家というのはもちろんですが、期間が長いプロジェクトなので冒険ができると考え、亡くなられている作家が登場するのは興味深いと思い立ちました
そしてもう一つ、僕1人ではどうしても得られない泉さんとの客観的な接点を持つことができると思ったからです。
数年前、Yoshimi Artsの稲葉さんとthe three konohanaの山中さんから声をかけていただき、「2つの時代の平面・絵画表現-泉茂と6名の現代作家展」(Yoshimi Arts/the three konohana/2021)に出展しました。これは、泉さんと直接の関わりはないけれど、彼の表現や制作方法の傾向に共通点が見られる現代作家6名が参加する展覧会で、泉さんを通して僕の作品を見ていただけたという、とても嬉しくありがたい経験でした。
それまでは、僕が勝手に共鳴を覚えていただけでしたが、稲葉さんと山中さんの企画によって客観的な接点を持つことができたと感じたんです。今回は僕のほうから同じように接点を持つことができたらと思い、提案しました。
展示風景: 「2つの時代の平面・絵画表現-泉茂と6名の現代作家展」
2021年|the three konohana / Yoshimi Arts|Photo: Tomoya Hasegawa
一番右は泉茂の作品
Q. 作家同士の接点や関係の重要性を感じていらっしゃるのですね。
僕は他の方の美術をサンプリングするとき、好きだからというだけで説得力を持たせるは難しいと感じています。もちろん、作品が良ければ次第に説得力が出ると思うのですが、芸術家同士が影響を与えたり受けたりという関係を説明する場合、例えば出身大学や住んでいる地域などの属性を示すと理解してもらいやすいのです。作家として活動する上で、立ち位置を証明し合える関係性があることは心強いです。
Q. 制作の際に気を付けていることはありますか。
僕の場合、調子よく描けているときは錯覚だと思っています。自分の気持ちが調子いいだけで、それがイメージに反映されているとは思っていません。なので、調子乗っているなと思ったら昼寝をします。(笑)。
僕の作品は直線を塗る工程が多いのですが、筆を動かしていると、「一発で描けた!」と、ペインターズハイになることがあるんですね。でも、うまく塗れたと思った時に限って、次の日に確認するときれいに塗れていないことが多い。疲れていたり、ハイになっているだけで、線をきちんと見ることができていないんです。
逆に、気持ちをハイにすることを優先させる作家さんの話を聞いていると、制作する前にまず、好きな音楽アルバムを選んで、この曲が終わるまでに仕上がるだろうという算段があるなど、描くまでに助走があって面白いです。身体性で描く人は、描く以外のところにルールがあって走り出すようです。僕は描く絵の中にルールがあるので、それを守ろうとしています
Q. 杉山さんは音楽を聴かれますか。
聴きます。ラジオも聴くのですが、そうするとハイになりすぎるので、いったん筆を置いて踊ります。
Q. 踊るんですか!?
身体を動かすことでうわぁーとなる気持ちを昇華します。歌ったりもしますね。
Q. 歌も!?どんな曲を歌うんですか?
シンガーソングライター・朝比奈逸人さんの曲をよく口ずさんでいます。朝比奈さんは画家でもあり、2022年に開催された「兵庫県立美術館開館20周年 関西の80年代」展にも作品が展示されていました。Vaundyやandymoriなど最近の曲、それから大滝詠一さんも好きですね。かっこいいと思う曲をカラオケのように歌っています。
Q. 落ち着かせることが目的なのですね。
描くときは、意識できていないフラットな状態のほうがいいなと思っています。
Q. 作品のアイデアはどんなところから湧いてくるのでしょうか。
僕は30代の頃、ひどい片頭痛に悩まされていました。視神経に異常が発生し常にフラッシュをたいたような光の点が見える光視症という症状があるのですが、これは片頭痛の時にも見えたりするものです。『光視』は、その痛みをイメージして描いたウニのような絵画作品です。
当時、頭が痛くて眠るのも一苦労。じっとしていることもできず、ベッドでゴロゴロして汗かいて、気づいたら寝ていて、起きたら治っているということがよくありました。このままじゃまずいぞと思って、じっとするための瞑想術を考えるようになり、「痛み」にシルエットを与えようと思いつきました。まず、トゲトゲしたようなイメージを作って、さらにそのトゲトゲにぴったりハマるスポンジみたいなものをイメージし、「痛みをカバーできていますよ!」という妄想をするようにしました。そうすると想像していることに神経が使われる気がするんです。それと同時に鼻から吸って口から吐いてという瞑想方法を繰り返します。そうやっているうちに気づいたら寝ているというやり方です。
痛みや記憶といったシルエットがないものに、言葉を与えるのと意味が近いと思うのですが、形を与えることで処理できる、一歩距離を置けるのがいいなと思っています。
《光視》アクリル、キャンバス| 60.6x60.6 cm|2018年|Courtesy of TEZUKAYAMA GALLERY
また、『そらしめ』は、丸に線がバーっと集まっている絵画作品です。人間の視細胞には2種類あって、黒目の大部分は明るいところで色を見分けることができる桿体細胞(かんたいさいぼう)、その周りにあるのが錐体細胞(すいたいさいぼう)です。桿体細胞は光に対する感度がいいので、夜道に花が咲いているとか、シルエットで判断することができるんですね。その機能をうまく使って暗闇でものを見ようとする方法が「そらし目」です。目の中心に暗いものを見る細胞がないので、文字通り少し目を逸らして見るという民間伝承で、兵隊が夜間に周りを監視するときや、星を見る人がよく使うそうです。
光っているのものから少し目線を外した方がより光って見えるという「そらし目」の考え方に惹きつけられ、それをイメージにしようと作った作品が『そらしめ』なんです。
明るいところでいいものを見て喜ぶよりも、暗くてみえにくいところでものを見るにはどうしたらいいのかを追及するほうが自分の性格にあっています。
《そらしめ》アクリル、キャンバス| 50x180 cm|2022年
Q. ご自身の悩みや性格がアイデアにつながっているのですね。
『そらしめ』では、線がクロスするところに錯視効果が発生して、描いていないのに、もわっとしたものが見えてきます。これが、見えないものを見る方法というか、そらし目と一致するなぁと思いました。こんな風に、考えと作り方が結びつくものが作れたらいいなと思っています。
Q. 考え方と作り方が結びつく。簡単なことではなさそうです。
僕は泉さんの作品も考え方と作り方が一致しているのではないかと思っています。泉さんの作ったものには再現性があるんです。版画制作を経ていることも影響しているかもしれません。こういうことを表したいという考えがあって、それを分解したらこういう工程になるんじゃないかと進めていくうちにイメージが出来上がる。その思考やプロセスの部分がはっきりしているから、同じような作品を何度も作ることができるんです。
僕は、何度も作れるということに心惹かれます。再現性があるということは、作品のきっかけとなる根本の考え方が確かなものとして世の中にあることの証明になると思うんです。
Q. 哲学的です。目に見えないもの・内的なものを具現化するために、考えを研ぎ澄ませてルールをから作っていく。精神修行のようですね。
ゆっくり狂っていけたらいいなと思っています。単独でエベレスト登頂を果たした登山家の山野井泰史さんがドキュメンター映画で似たようなこと仰っていたのですが、僕はうわーっと勢いよく画面を作るのではなく、じっーとやっていたら、どうしようもないところまで来てしまった。そういう感じを目指しています。