弁天町ステーションアート第二弾アーティストであるナガタタケシとモンノカヅエによるユニット、トーチカ / TOCHKA。長時間露出とコマ撮りアニメの手法を融合し、空中にペンライトの光でアニメーションを描く「PiKAPiKA」やVR・ARを使った映像作品で知られる彼らに、弁天町駅周辺の高架下を舞台にした新作に込めた思いや駆使する最新テクノロジーについて話を聞いた。
モンノ:映像作家と名乗っています。
ナガタ:アニメーション映画祭などでは、アニメーション作家としています。
モンノ:弁天町駅周辺は、地形がかなり面白いです。ここに来る前からグーグルマップでロケハンをしていたのですが、実際に来てみるとさらに「なんだ、この駅は!」と思いました(笑)。高速道路と国道、その下に地下道があって、大阪メトロも地下鉄なのに地上で高速と並走しているのがとても珍しい。さらに、歩道橋が高速とメトロの下を通っています。そのうえJRもクロスしていて、「何個あんねん!」と。幾重にもレイヤーが重なった複雑な構造がすごくて、高架下を舞台にして作ると面白いのではないかと考えました。
また、弁天町は高層ビルが建つなど綺麗に整備されている部分と、混沌とした部分が共存しているのも興味深いですね。町自体も裏道に入って行くと面白い店があったり、波除(なみよけ)という地名からもわかるように海の町でもあったりする、様々な要素が交錯する場所だと思います。
モンノ:私たちは常々、インスタレーションともいえるような、場所にひも付いた映像作品を作っています。その場所にある軌跡のようなものを残したいと考えています。
Q. 制作に使われたGaussian splattingについて教えてください。今回の作品はGaussian splattingと3DゲームエンジンUnreal Engineを組み合わせて作った仮想空間(VR)の中でカメラを動かしています。
今後は、さらにその一歩先に進み、「視聴者が自由に決めるカメラの視点で見ることができる。」映像体験が出てくると思います。私たちは、その技術を使って映像作品や芸術作品を作る実験をしているところです。
モンノ:今はまだ研究段階で主流ではないのですが、今後おそらく技術のチェンジがあるだろうと予想をして私たちは動いています。
ナガタ:360度カメラを使って撮影しています。私たちは4〜5年前から360度カメラを作品づくりに取り入れているのですが、実は360度のカメラとの付き合いは長く、20年ぐらいになります。まだ市販の360度カメラがなかった頃に、一眼レフデジタルカメラと魚眼レンズを使って撮っていました。新しい機材が登場するたびに、いろいろ試しています。
モンノ:VPSという技術を使っています。VPSはビジュアルポジショニングシステムといって自動運転などに使うもので、看板や道など見えている景色で位置情報を認識するというシステムです。VPSでは、弁天町の駅のようにレイヤーが重なっていると、トンネルの中と同様に誤作動が起き、どこにいるかわからない状態になることがあります。
ナガタ:私たちはVPSを使って絵を描くウェブアプリを作りました。WEBブラウザで誰でもアクセスできるARグラフィティアプリ「STREET WRITER」です。今回の作品に登場する落書きの一部は「STREET WRITER」を使ってワークショップに参加してくれた大学生たちにVR上で描いてもらいました。
Q. どんなアプリなのでしょうか。
モンノ: アプリを開き、今いる空間のビジュアルをスマホのカメラで読み取ると自分の位置情報が送られてきて、そこに対して絵を描くというものです。AR(拡張現実)上でVR(仮想現実)をするようなイメージです。自分で絵を描くのはもちろん、ほかの人の絵に描き足すこともできます。
Q. 誰かに消される場合もあるというのが現実の落書きに似ていますね。
モンノ:周りの人から見ると何をしているのか分からないけれど、公共の場所で、いたずらのようなことができるという試みが「STREET WRITER」です。
ライトペインティング「PiKAPiKA」もそうですが、元々私たちの活動はグラフィティ(落書き)に近く、監視の目をくぐるような意味が少しあります。現実世界で公共の壁にグラフィティを描いたら犯罪になりますが、『どうやって人間の落書きのようなものを残すか』という活動をずっと行っています。
Q. ぜひ、Gaussian splatting やVPSといった最新技術にも注目して映像をみていただきたいですね。技術の次は作品のテーマについて伺います。
モンノ:この作品にはSNSなどで常時監視されている、生きづらい世界からエスケープしたいというコンセプトがあります。
今、シミュレーション仮説にハマっています。これは哲学者や科学者の間で論じられている『人間はみんなプログラムされていて、この世界はすべてシミュレーションできている』という映画「マトリックス」のような考え方。それをベースに物事を考えるようにしているんです。というのが、ナガタさんは大学でCGの基礎などを教えていて、私もCGに触れたり学んだりする機会が多いのですが、その中で人間の行動や目に見えている世界が、全てCGで表現できてしまうことに気づいてしまいました。そこから解き放たれたいという静かな抵抗です。
また、AIが経済的にも産業的にも主流になってきた中で、アーティストがどうやって新しいもの=AIと折り合いをつけていくのだろうというのもテーマです。私たちは制作を始めた頃からずっと、人間の作る喜びや人間が表現することって何だろう?と考えています。掘り起こしてみると、原始時代に洞窟に壁画を描いたように、描くこと自体が人間の活動と親和性がとても高いのではないかと考えるようになりました。
Q. 人間にとって描くことと生きることが切り離せないと考えていらっしゃるのですね。
モンノ:洞窟の中で落書きをしている人たちから文明がスタートしたとすると、おそらく人間はどうやって生きていても落書きをし続けるのではないでしょうか。人間は描くことを絶対にやめないし、道具がiPadに変わったとしても、手で描いたりペンで描いたりするはずです。そういった根本的な欲求のようなものをテクノロジーで吐き出せたら、というのが根本にあります。
TRACK(2015)より。(作者提供)
Q. トーチカさんの作品は最新のテクノロジーと人間のあたたかみが同居しているところに魅力を感じます。
モンノ:私たちの作品は、遊びの中でアクシデントが起きることを期待している活動なんです。昔の作品、『PiKAPiKA』にしても、今の作品にしても、みんなに遊びながら自由に落書きを楽しんでもらいたいという思いです。
Q. 遊びながら落書きを楽しむ。お子さんから年配の方まで誰でもできることですね。
モンノ:AIを使ったアートやアーティストと呼ばれることに対しての嫌悪感というのでしょうか、テクノロジーにしても落書きにしても特定の人だけの特権になるのが嫌なんです。表現自体がみんなにとって自由であってほしい、誰にでも表現する権利があり、またそれは人間の欲求でもあると思います。
ワークショップを開催すると、よく「私、絵が描けないんです」という方がいらっしゃいます。それは教育の中で、上手い下手やこれはダメこれがいいということを勝手に決められてきたからではないでしょうか。描くことや楽しむことを忘れているのではないかと思うんです。もっと自由に、落書きをしてほしいし表現してほしい。世知辛い世の中にそういう場を作りたいという思いが活動の根本にあります。