田中秀介 インタビュー

弁天町ステーションアート第一弾アーティストの一人である田中 秀介。
日常的に絵画に向き合い、キャンパスに自分の身体を通じて捉えた景色や事象をキャンパスに描き続けている。
そんな彼は普段何を考えているのか?
なぜ絵を描き続けることを選んだのかを聞いてみた。

Q. いつも何と名乗っていますか?

「画家」ですね。
やっぱり絵を描くことが中心になってるというか、何か別のことをするにしても、まず絵を描くことがベースになって考えちゃうことが多いんですよね。例えばワークショップで街歩きをするときでも、やっぱり描くことを軸にしてやってる感じです。

普段、自分が見たり感じたりしたことを描いていて、その時の感覚とか、自分がどう感じているのかを、絵を通してみんなにも一緒に感じてもらいたいなと思っています。だから、やっぱりまず絵があることが前提で。僕が体感したことを写真や他のものには今のところしていなくて、あくまでも絵という形で外に向けて発信してるって感じですね。

そういう意味で「画家」っていう言い方が、自分の中では一番しっくりくるかなって思ってて。
人に伝えるときも、「画家です」って言うのが分かりやすいかなって感じですね。

「画家」って名乗るのは、やっぱり伝えやすいっていうのがありますね。
肩書きって難しくて、あんまりガチガチに決めすぎても違和感があるし、かといって全く何も言わないと伝わりにくいというか…。
略歴に載るときも、正直そこまで深く見る人って少ないと思うんですよね。
作家って書いてあろうが、画家って書いてあろうが、そんなに気にされてない気がしてて。だからこそ、自分的にしっくりくる「画家」って言葉を使ってる、みたいな感じです。

「画家」っていう肩書きは、ある意味ぎりぎり自分が責任を持てるラインというか、ちゃんと踏み込んでやってるっていう感覚があるんですよね。
一応専門的にやってるし、一生かけてやっていくつもりでいるので。
だから「画家」っていうのが、自分にとってもしっくりくるし、伝える上でもちょうどいいなって思ってます。

Q. 好きな作品やアーティストは?

なんか僕、けっこう“吐露された作品”が好きなんですよね。
なんていうか、切実さというか、「あ〜どうしてもこれやっちゃったんだな」って感じるようなもの。
そういうところに、その人の力とか、表現の深さみたいなものを感じちゃうんですよ。
僕はやっぱり、そういうちょっと不器用でも本音が滲み出ちゃってるような表現に惹かれるんです。

そういう意味では、個人的な視点で惹かれる人が多いですね。
例えば昔から、俵屋宗達とか…あの辺の人たち、すごく好きです。圧倒的にすごい人が昔からいて、そういうのを面白がって話したりするのは好きですね。

あと、山本作兵衛っていう、炭鉱で働いていた人の作品があって、昔からずっと好きなんです。
ああいう人って、自分の生活の中で自然に絵を描いてて、ずっと日記みたいに記録してるんですよね。
それがもう、本当にたまらなく好きで。

要は、絵を“作品として見せる”ためじゃなくて、生きる術として使っている感じ。
それって、現代美術の「美術家になる」っていうスタートとは全然違ってて。
現代美術の世界では、過去の美術を“お箸”みたいにうまく使って作品を組み立てるような作業があるけど、
山本作兵衛みたいな人たちは、絵を“お箸”じゃなくて、もう“生きること”そのものとして描いてるんですよね。

僕も、そういうふうにありたいなって思います。
絵を描くってことを、生きることと直結させたい。


Q. 田中さんの作品は日常とアトリエ、展示空間が自然に繋がっていて、生活の中から生まれてくるもののような感覚があります。

やっぱり昔からそういうもの(絵画)が好きなんでしょうね。
で、ある時点から思考を変えざるを得なくなる瞬間があって――
例えば、大学に入って卒業して、「画家です」「美術家です」っていう道を歩む人が多い中で、僕はただ、ずっと“描きたい”っていう気持ちでやってきたんです。

でも、社会に出ると、「それだけじゃダメだよ」みたいな軌道修正が強制的にかかってくることがあって。
そのときに、たしかに“美術家”って名乗ることの意味もわかるし、必要なんだろうなとも思うんですけど…



Q. コンセプトや技法について教えてください。

自分の原点はやっぱり、「描きたいものを描きたいように描く」っていうところにあるんです。
特に絵画って、自身の中である作風ができると、自身がその作風を順守して絵を描いてしまう傾向があって。
私もそれは経験しましたが、非常に窮屈で、なんか自分で自分の可能性を殺してる気がしたんですよね。

たとえば、「私はこういうコンセプトで描いてます」って決めきっちゃうと、人間って日々気持ちも変わるし、感覚も揺れる中で、「ほんとは鳥が描きたいな」とか、「全然違うものを描きたい」って思っても、それができなくなることがある。

だから、できるだけ自分の可能性を閉じないように、「描きたくなったら描く」っていう状態を保っておきたいと思ってて、そういうスタンスで続けてきた結果、今のあり方になってるのかもしれないですね。

一見コンセプトがないように見えるかもしれないけど、むしろ「感じたままに描いていく」ということ自体が、僕の根本的なコンセプトになってるんだと思います。

Q. 田中さんは鑑賞者に何を伝えたいと思っていますか?

たとえば、道端でふと花とか雑草に「はっ」とする瞬間があるんですよね。
でも、なんで自分がそれに反応したのかは、正直わからないんです。ただ、確実にはっとしてる。
「なんだこれ?」って思って、一応その場で写真を撮ったり、周囲の状況をいろんな角度から記録しておきます。
天気とか湿度とか、雲の様子とか、その時感じたことをできるだけ拾うようにしてます。

家に帰ってから、その資料をもとに「自分はなぜあの瞬間、はっとしたのか?」ってことを、
絵を描きながら理解していくんです。
絵って、足したり引いたりできるから、自分の体感を軸にして整理していける。

だから、絵を描くっていうのは、体感をもとにした再構築なんです。
「なぜあれが大きく見えたのか」「どうしてあの色が心に残ったのか」っていうのを、記憶や記録を行き来しながら探っていく作業。

そうやって、自分が見た“あの雑草”を描いていく。
絵って、そういう逡巡とか思考の流れがすごくダイレクトに出るから、すごくやりやすいんです。

最終的には、「この花、すごい綺麗だったんだよ」とか、「この溝の端っこの色、綺麗やったで」って、誰かに伝えたくてやってるんだと思います。
そしてそれを、絵っていう方法で面白がりたいんですよね、見る人と。

Q. なぜこの絹さやを描いたんですか?

絹さやが漢字の“友”みたいに見える瞬間があって。
そして箸がピタッと止まって、急に幼なじみのことを思い出したんです。

その瞬間、心がドキッと動いたんですよね。
「これを描こう」って自然に思えたのは、その感情とか、あの時の状況を誰かに伝えたかったから。


Q. なかなか絹さやを見て、幼馴染を思い出して、これを描こうとはならないと思うんですけど、それはちっちゃい頃からそうなのか、それとも画家としてキャンバスと向かい合う中で培われていったのか。

小さい頃は、いわゆる“問題児”だったと思います。
多感で、いろいろやりたいし、何か作っていたいし、とにかく「やりたいことはやりたい!」っていう子でした。
でも、そういう性格って今も変わってないと思います。母からも「小さい頃と全然変わってないね」ってよく言われます。

いつから絵を描くようになったのかっていうと、はっきり「本格的に」と言える時期はないけど、
ひとつ覚えてるのは、幼稚園のときに描いた絵がすごく褒められたこと。
たしか何かの賞をもらって、幼稚園の中だけじゃなくて、和歌山県全体とか、もう少し広い範囲だったかもしれないです。

その時の体験は大きかったと思います。
「絵を描いたら、ちょっといいことが起こるかも」っていう感覚が、その時に芽生えた気がします。

描いたことで褒められて、表彰されて、周りが笑顔になってくれる。
その“人の笑顔が見える”っていうのが、すごく安心感につながってたんだと思います。
たぶん、今もどこかでその感覚が根っこにある気がします。

あと、ある朝、トイレに行こうと思って起きたら、おばあちゃんが座ってたんですよ。
緑色に光るみたいな、大きな布団みたいなのをかけてて、「あれ?」ってなって、
怖くなってすぐ布団に戻って寝たんです。で、もう一回起きたら、その姿は消えてた。

幼稚園の頃だったんですけど、どうしてもそのことを母親に伝えたかったんです。
でも、言葉じゃうまく説明できないから、必死に絵を描いて伝えたんですよ。
「こんな姿だった」って、詳細に思い出して。それが自分の中ではけっこう大きな出来事で、
“描く”っていう行為が、自分にとっては「伝えるためにどうしても必要だった」っていう体験になった。

今でもそれは続いてて、別に霊的なものを描きたいわけじゃないんですけど、
“見たものを伝えたい”っていう衝動は、あのときと同じです。
幽霊だったかどうかは、今となっては正直どうでもよくて、勘違いかもしれない。
でも「描かざるを得なかった」っていう、その体験が今の自分に繋がってるんだと思います。

Q. 絵の具や画材へのこだわりはありますか?

僕は油をメインで使ってます。
それには理由があって、油って乾くのが遅いぶん、じっくり描き進められるんですよね。
思考の速度と、絵の具のゆっくりとした変化がすごく合っていて。

単純に、見たものや体感したことを「これはなんだったんだろう?」って思い返しながら描くときに、
油絵のゆるやかな進行が、自分にはちょうどいいんです。
確認しながら進めていけるっていう意味でも、自分にとってはベストな画材だと思ってます。

筆に関しては、「どこそこのこれじゃなきゃダメ」っていうこだわりはあんまりなくて、その筆が持ってる特性をちゃんと活かすようにしています。

たとえば、豚毛の筆だと細かい線は描けないけど、かすれさすとか繊細なニュアンスを表現するのに向いてる。
逆に、ナイロンの筆はエッジが効きくからラインをしっかり描けるし、そういう特性を使い分けてる感じですね。

筆の“売り”になってる部分を素直に使ってると思います。
たぶん、描くスピードはけっこう速い方なので、自分の身体に合うように筆を使っています。


あとは、前はキャンバスの裏面を使って描いてたんですけど、今は表面に塗料を作って塗って仕上げる、っていうやり方に変えました。
それだけでもう全然違うんですよね、感触も仕上がりも。

なんでそうなったかっていうと、海外に作品を持っていく必要があって、大きい作品を丸めて持ち運ぶためでした。
そういうふうに、環境や目的に合わせて支持体を変化させてこと自体が面白くなってきたというか、楽しみになってきて。

実用的な理由から始まったんですけど、
それが制作の中で新しい発見につながっていくのが、今はすごく楽しいです。

自分で「こうしたい」って思って変えたというより、仕方なく変えざるを得ない状況やタイミングがあって、今のやり方にたどり着いた感じです。でも結果的に、今が一番ベストな支持体だと思ってます。

僕は基本的に、表面をテカらせずにマットに仕上げたいんです。
表面が光って(作品が)見てない時ってあるじゃないですか?あれがすごい苦手なんですよ。
絵だけの色を見てもらいたい。
なので、かなり細かい目のキャンバスを使っていて、質感が紙に近いです。
あと、ほんの少しだけ油を吸うので、描いたあとにちょっとカサカサな感じで画面が残っていくんです。
そこに油を重ねても、オイリーではないというか。
ベストです。

田中秀介 Shusuke Tanaka

1986年 和歌山生まれ
2009年3月 大阪芸術大学 美術学科 油画コース 卒業

[個展]
2025年3月 「ゆきゆきてたたずみ合い」東京/CADAN有楽町
2025年2月 咲くやこの花賞記念展示「お前と過ぎ去らせた日の目の引き出し」大阪/ CCO(名村造船場跡地)
2024年10月 「有様のほぐしくらべ」東京/ LEESAYA
2023年12月「客人の望郷吟味」大阪/イチノジュウニノヨン

2023年3月 「烏合のふるまい」東京/ LEESAYA
2022年10月 「田中秀介展 絵をくぐる大阪市立自然史博物館」大阪 / 大阪市立自然史博物館
2022年7月 「すべ としるべ(再)2021-2022 #02 先見の形骸団子 」京都 / Gallery PARC
2022年5月 「辿る粉々の粉」東京/ LEESAYA
2021年10月 「馴れ初め丁場 / Beginning of love」 京都 /Gallery PARC企画 オーエヤマアートサイト
2020年9月 「かなたの先日ふみこんで今日」和歌山 / 和歌山県立近代美術館企画 ぎゃらりーなかがわ
2019年11月 「随所、ただいまのかち合わせ。」滋賀/2kwgallery
2018年12月 「清須市はるひ絵画トリエンナーレアーティストシリーズ Vol.87 田中秀介展 ~カウンターライフ~」愛知 /清須市はるひ美術館
2017年3月 「ふて寝に晴天、平常の炸裂。」京都 /Gallery PARC
2016年7月 ALLNIGHT HAPS 人と絵の間「こないだのここからあそこ」京都 /HAPS 2016.4
2016年 「円転の節」東京 /トーキョーワンダーサイト渋谷
2015年6月 「私はここにいて、あなたは何処かにいます。」 京都 /Gallery PARC
2013年9月 「回想と突発のわれわれ」京都 / Gallery Morning
2012年10月 「節々の往来」京都 / Gallery Morning
2012年7月 「破竹の集約」大阪 / room.A
2011年12月 「香ばしい遜色 」大阪 / room.A
2011年10月 「空回る傍観」京都 / Gallery Morning
2011年8月 「Tanaka Shusuke solo exhibition」韓国 / Alternative Space MARU
2010年11月 「華やかな隔たり」大阪 / 2kw gallery
2010年10月 「差し出る誤解」大阪 / room.A
2010年5月 「平穏のむきだし」奈良 / Gallery&Cafe E・R・I+Y
2009年8月 「信じがたい部分」大阪 / Gallery Den 58

[ グループ展 ]
2024年6月 「Daydreamer」台湾・台北市/YIRI ARTS
2024年1月 「WHAT CAFE EXHIBITION vol.34 WHAT CAFE × DELTA ” TOPOLOGY”」東京/ WHAT CAFE
2023年10月 「まちのことづて」 兵庫/A-LAB
2023年9月 「“MEMORIES 02” selected by Tomio Koyama」 東京/CADAN有楽町
2023年3月 「VOCA展2023 現代美術の展望-新しい平面の作家たち-」 東京/上野の森美術館
2021年6月 「もうひとつの世界 」和歌山/和歌山県立近代美術館
2021年2月 「停滞フィールド2020→2021」東京/トーキョーアーツアンドスペース本郷
2021年1月 「絵画の見かた reprise」 東京/√K Contemporary
2020年7月 「なつやすみの美術館 10:あまたの先日ひしめいて今日 」和歌山/和歌山県立近代美術館
2020年2月 「停滞フィールド」東京/トーキョーアーツアンドスペース本郷
2019年6月 「忘れようとしても思い出せない」滋賀 / ボーダレス・アートミュージアムNO-MA
2018年5月 「small painting,painting small」京都/Finch Arts
2018年2月 「アーカイブをアーカイブする」京都 /みずのき美術館
2017年6月 「アンキャッチャブル・ストーリー」京都 /瑞雲庵
2017年3月 Big Sensation 京都 /Gallery Den Mym
2015年2月 liquid section 大阪 /2kw gallery
2014年1月「まよわないために -not to stray-」大阪 / the three konohana
2014年1月 CONSTELLATION 2014-星座的布置展- 東京 / 上野の森美術館
2013年12月「夜水鏡みがかず見るよー死と詩ー」奈良 /Gallery OUT of PLACE
2013年7月 有馬温泉路地裏アートプロジェクト 2013 兵庫 / 有馬温泉
2013年2月「5Artist」大阪 / 阪急メンズ館
2012年8月「アート街道」神戸 / 神戸アートビレッジセンター
2012年7月「MAX PAINTINGS」大阪 / ギャラリー白
2012年5月「Favorite Art view」京都 / Gallery Morning
2012年3月 〔FUKUSHIMA ART プロジェクト〕×〔福島∞京都〕京都 / 元・立誠小学校
2011年11月 「Worldmaking」大阪 / 2kw gallery
2011年10月 「TASTING ART EXHIBITION 03」大阪 / 阪急メンズ館
2011年4月 「visual sensation vol.4」京都 /Gallery Den mym
2010年10月 「TASTING ART EXHIBITION 02」大阪 / 阪急メンズ館
2010年3月 「TASTING ART EXHIBITION」大阪 / 阪急メンズ館
2009年11月 「S.S.S.」大阪 / Gallery Den
2009年10月 「サントリー賞受賞特別展 薄い皮膚」大阪 / サントリーミュージアム [ 天保山 ]
2009年9月 「Art camp 2009」大阪 / Gallery Yamaguchi Kunst Bau
2009年3月 「Tokyo wonder seeds」2009 東京 /トーキョーワンダーサイト

[ 受賞・入選 等 ]
2024年 令和6年度和歌山県文化奨励賞
2023年 令和5年度咲くやこの花賞 
2018年 はるひ絵画トリエンナーレ 準大賞
2009年 第 24 回 ホルベイン・スカラシップ 奨学生 認定
2009年 「Art Camp 2009」サントリー賞 受賞
2009年 Tokyo wonder seeds 2009 入選
2009年 Acryl Award 2008 入選

[ レジデンスプログラム ]
2010年12月「Asia Art Program] 韓国 ( 昌原 )/Alternative Space MARU

[ パブリックコレクション ]
清須市はるひ美術館
和歌山県立近代美術館